ニュースレター「サンゴ礁の自然環境」

2014年12月号

沖縄のカブトガニは夢か幻か

写真3 埋め立てにより大部分が消失してしまった干潟(沖縄市川田にて撮影)  国内でカブトガニの数がこれほど少なくなってしまった原因として、日本各地で干潟が消失してしまったことが指摘されています。カブトガニの幼個体が生育するための干潟は、埋め立てがしやすい立地条件にあるため人間による開発に晒される場所です。沖縄も例外ではなく、干潟を埋め立てて道路が作られ、町が作られ、経済的発展のために干潟の多くが失われていきました。たとえかつての沖縄にカブトガニが生息していたとしても、その環境の多くは既に失われてしまっているでしょう。
写真4 干潟で貝を採る人々(沖縄市泡瀬にて撮影)  沖縄には浜下り(はまうり)と呼ばれる旧暦3月3日に女性が主となって海岸で魚介類や海藻をとる伝統行事があります。特に沖縄本島の東海岸に位置する泡瀬干潟では浜下りの日に限らず、熊手を持って二枚貝をとるおばぁがたくさんいます。このような干潟に昔カブトガニがいたのかどうかは、今の時点では何とも言えません。しかし、少なくとも沖縄にはまだ干潟を干潟のまま利用している人がいて、そうした場所が減少していることは確かです。地元の人々によって細々と利用されてきた干潟は、これまでに「公衆の利益」のために潰され、その本来の価値を認識されてこなかったのですが、もしカブトガニの生息場所を“その地域の自然を記念するもの”として保全することができるなら、おばぁのおかずとりの場所も保全することができるのではないでしょうか。 執筆者 水山 克
 先日、海洋生物研究者の大先輩から面白い話を聞きました。 「どうやら沖縄にはむかしカブトガニがいたらしい。もし興味があれば調査しないかい?」 カブトガニとは
写真1 カブトガニ(古宇利オーシャンタワー内Shell Museumにて撮影)
 カブトガニについて知っていたことと言えば、①シーラカンスやオウムガイのようにはるか昔から姿かたちを変えずに現代まで生き残っている、いわゆる「生きた化石」であること、②干潟に生息しており、日本では開発の影響で個体数が激減したために絶滅危惧種に指定されていること、くらいでした。沖縄に来てからというもの、サンゴ礁の海で数えきれない生き物たちに出会ってきましたが、沖縄の干潟と言えばミナミコメツキガニやシオマネキ類が有名です。まさか、カブトガニがいたなんて考えてもみませんでした。 カブトガニ(学名:Tachypleus tridentatus)は、日本では瀬戸内海と北九州沿岸に生息し、その他では中国大陸の一部、フィリピン、インドネシアにかけて分布していることが知られています(環境省HP)。ここで不思議に思うのは、カブトガニの分布域を地図上で見ると、南西諸島(鹿児島県に属する薩南諸島、沖縄県に属する琉球列島)がすっぽり抜けているんですね。カブトガニに近い仲間では、東南アジアに分布するマルオカブトガニやミナミカブトガニ、あとは北アメリカに分布するアメリカカブトガニがいます。沖縄にいたとすれば、やはりカブトガニ(T. tridentatus)でしょうか。しかし、沖縄に分布するという情報は日本語でも英語でも見つかりませんでした。 沖縄県内のカブトガニ情報
写真2 沖縄のカブトガニ(名護パイナップルパーク内貝類展示館にて撮影)
 次に、大学の図書館から新聞社の各データベースにアクセスし、カブトガニについての新聞記事が過去にあったかどうか調べてみました。すると、1997年4月9日付の沖縄タイムスに「カブトガニ「生きた化石」はクモの仲間」と題された記事を発見。なんと、「県内でも1981年と1986年にそれぞれ糸満沖、名護湾での採集例がある(抜粋)」と記されているではありませんか!!さらに聞き込み調査を行ったところこれらの標本が、名護市のパイナップルパークに併設されている貝類展示館に展示されているとの情報が得られたので、早速話を聞きに行きました。 貝類展示館へ行ってみると、確かにカブトガニの剥製が展示されていました。さらに「科学的な」研究に用いる標本には必要不可欠とされる「採集者名」、「採集年月日」、「採集場所」の情報もありました。ちなみにこれらの情報が欠けていると、多くの場合証拠能力が十分ではないと判断され、科学的に扱うことが難しくなってしまいます。いずれの情報も新聞記事と一致していたため発見した時はとても心が躍りました。 と、こ、ろ、が…。ここに来て意外な落とし穴が。展示担当の職員さんによると現在展示している剥製は県外から仕入れたもので、残念ながら県内で採集されたオリジナルの剥製は破損が生じたため廃棄されてしまった、とのことでした。 唯一の「科学的な」手掛かりを失ってしまったので、そこからは、沖縄の海洋生物を研究する年配の先生方、昔から沖縄の海を知る漁師の方々、海沿いに暮らす地元の人々への聞き取り調査に切り替えて、地道に情報を探すことにしました。すると、「子供の頃に見つけて大騒ぎしたことがある」「昔はたまに見かけたよ」などの目撃情報が、地元の方々から多く得られました。このニュースレターを書いている時点で「科学的な」証拠能力を有する標本、もしくはカブトガニの生存を確認できる情報はまだ得られていません。今は得られた情報の内で有力と思われるものを、一つずつ検証している段階です。ただ興味深いのは、聞き取りを行った地元の方々は誰もが「昔は貝も魚もたくさんいた」という共通の印象を持っていることです。 とらぬカブトガニの甲羅算用 今後もしカブトガニの標本が手に入ったとしたら、それはいったいどのような意味を持つのでしょうか? カブトガニは環境省のレッドデータブックには絶滅危惧IA類と指定されています。ところが、東南アジアでは広範囲に分布し、ごく普通にみられる種であることから、現状では種として絶滅の恐れがあるとは認識されておらず、種の保存法などは適用されていないようです。日本では、2003年に岡山県笠岡市の繁殖地が国の天然記念物に指定されてから、現在では佐賀県伊万里市、愛媛県西条市でも同様に、カブトガニの生息環境が天然記念物として保護されています。天然記念物法では、生き物そのものだけではなく、その生息地や繁殖地も含めた環境をまるごと保全の対象としています。
写真3 埋め立てにより大部分が消失してしまった干潟(沖縄市川田にて撮影)  国内でカブトガニの数がこれほど少なくなってしまった原因として、日本各地で干潟が消失してしまったことが指摘されています。カブトガニの幼個体が生育するための干潟は、埋め立てがしやすい立地条件にあるため人間による開発に晒される場所です。沖縄も例外ではなく、干潟を埋め立てて道路が作られ、町が作られ、経済的発展のために干潟の多くが失われていきました。たとえかつての沖縄にカブトガニが生息していたとしても、その環境の多くは既に失われてしまっているでしょう。
写真4 干潟で貝を採る人々(沖縄市泡瀬にて撮影)  沖縄には浜下り(はまうり)と呼ばれる旧暦3月3日に女性が主となって海岸で魚介類や海藻をとる伝統行事があります。特に沖縄本島の東海岸に位置する泡瀬干潟では浜下りの日に限らず、熊手を持って二枚貝をとるおばぁがたくさんいます。このような干潟に昔カブトガニがいたのかどうかは、今の時点では何とも言えません。しかし、少なくとも沖縄にはまだ干潟を干潟のまま利用している人がいて、そうした場所が減少していることは確かです。地元の人々によって細々と利用されてきた干潟は、これまでに「公衆の利益」のために潰され、その本来の価値を認識されてこなかったのですが、もしカブトガニの生息場所を“その地域の自然を記念するもの”として保全することができるなら、おばぁのおかずとりの場所も保全することができるのではないでしょうか。 執筆者 水山 克
 先日、海洋生物研究者の大先輩から面白い話を聞きました。 「どうやら沖縄にはむかしカブトガニがいたらしい。もし興味があれば調査しないかい?」 カブトガニとは
写真1 カブトガニ(古宇利オーシャンタワー内Shell Museumにて撮影)
 カブトガニについて知っていたことと言えば、①シーラカンスやオウムガイのようにはるか昔から姿かたちを変えずに現代まで生き残っている、いわゆる「生きた化石」であること、②干潟に生息しており、日本では開発の影響で個体数が激減したために絶滅危惧種に指定されていること、くらいでした。沖縄に来てからというもの、サンゴ礁の海で数えきれない生き物たちに出会ってきましたが、沖縄の干潟と言えばミナミコメツキガニやシオマネキ類が有名です。まさか、カブトガニがいたなんて考えてもみませんでした。 カブトガニ(学名:Tachypleus tridentatus)は、日本では瀬戸内海と北九州沿岸に生息し、その他では中国大陸の一部、フィリピン、インドネシアにかけて分布していることが知られています(環境省HP)。ここで不思議に思うのは、カブトガニの分布域を地図上で見ると、南西諸島(鹿児島県に属する薩南諸島、沖縄県に属する琉球列島)がすっぽり抜けているんですね。カブトガニに近い仲間では、東南アジアに分布するマルオカブトガニやミナミカブトガニ、あとは北アメリカに分布するアメリカカブトガニがいます。沖縄にいたとすれば、やはりカブトガニ(T. tridentatus)でしょうか。しかし、沖縄に分布するという情報は日本語でも英語でも見つかりませんでした。 沖縄県内のカブトガニ情報
写真2 沖縄のカブトガニ(名護パイナップルパーク内貝類展示館にて撮影)
 次に、大学の図書館から新聞社の各データベースにアクセスし、カブトガニについての新聞記事が過去にあったかどうか調べてみました。すると、1997年4月9日付の沖縄タイムスに「カブトガニ「生きた化石」はクモの仲間」と題された記事を発見。なんと、「県内でも1981年と1986年にそれぞれ糸満沖、名護湾での採集例がある(抜粋)」と記されているではありませんか!!さらに聞き込み調査を行ったところこれらの標本が、名護市のパイナップルパークに併設されている貝類展示館に展示されているとの情報が得られたので、早速話を聞きに行きました。 貝類展示館へ行ってみると、確かにカブトガニの剥製が展示されていました。さらに「科学的な」研究に用いる標本には必要不可欠とされる「採集者名」、「採集年月日」、「採集場所」の情報もありました。ちなみにこれらの情報が欠けていると、多くの場合証拠能力が十分ではないと判断され、科学的に扱うことが難しくなってしまいます。いずれの情報も新聞記事と一致していたため発見した時はとても心が躍りました。 と、こ、ろ、が…。ここに来て意外な落とし穴が。展示担当の職員さんによると現在展示している剥製は県外から仕入れたもので、残念ながら県内で採集されたオリジナルの剥製は破損が生じたため廃棄されてしまった、とのことでした。 唯一の「科学的な」手掛かりを失ってしまったので、そこからは、沖縄の海洋生物を研究する年配の先生方、昔から沖縄の海を知る漁師の方々、海沿いに暮らす地元の人々への聞き取り調査に切り替えて、地道に情報を探すことにしました。すると、「子供の頃に見つけて大騒ぎしたことがある」「昔はたまに見かけたよ」などの目撃情報が、地元の方々から多く得られました。このニュースレターを書いている時点で「科学的な」証拠能力を有する標本、もしくはカブトガニの生存を確認できる情報はまだ得られていません。今は得られた情報の内で有力と思われるものを、一つずつ検証している段階です。ただ興味深いのは、聞き取りを行った地元の方々は誰もが「昔は貝も魚もたくさんいた」という共通の印象を持っていることです。 とらぬカブトガニの甲羅算用 今後もしカブトガニの標本が手に入ったとしたら、それはいったいどのような意味を持つのでしょうか? カブトガニは環境省のレッドデータブックには絶滅危惧IA類と指定されています。ところが、東南アジアでは広範囲に分布し、ごく普通にみられる種であることから、現状では種として絶滅の恐れがあるとは認識されておらず、種の保存法などは適用されていないようです。日本では、2003年に岡山県笠岡市の繁殖地が国の天然記念物に指定されてから、現在では佐賀県伊万里市、愛媛県西条市でも同様に、カブトガニの生息環境が天然記念物として保護されています。天然記念物法では、生き物そのものだけではなく、その生息地や繁殖地も含めた環境をまるごと保全の対象としています。
写真3 埋め立てにより大部分が消失してしまった干潟(沖縄市川田にて撮影)  国内でカブトガニの数がこれほど少なくなってしまった原因として、日本各地で干潟が消失してしまったことが指摘されています。カブトガニの幼個体が生育するための干潟は、埋め立てがしやすい立地条件にあるため人間による開発に晒される場所です。沖縄も例外ではなく、干潟を埋め立てて道路が作られ、町が作られ、経済的発展のために干潟の多くが失われていきました。たとえかつての沖縄にカブトガニが生息していたとしても、その環境の多くは既に失われてしまっているでしょう。
写真4 干潟で貝を採る人々(沖縄市泡瀬にて撮影)  沖縄には浜下り(はまうり)と呼ばれる旧暦3月3日に女性が主となって海岸で魚介類や海藻をとる伝統行事があります。特に沖縄本島の東海岸に位置する泡瀬干潟では浜下りの日に限らず、熊手を持って二枚貝をとるおばぁがたくさんいます。このような干潟に昔カブトガニがいたのかどうかは、今の時点では何とも言えません。しかし、少なくとも沖縄にはまだ干潟を干潟のまま利用している人がいて、そうした場所が減少していることは確かです。地元の人々によって細々と利用されてきた干潟は、これまでに「公衆の利益」のために潰され、その本来の価値を認識されてこなかったのですが、もしカブトガニの生息場所を“その地域の自然を記念するもの”として保全することができるなら、おばぁのおかずとりの場所も保全することができるのではないでしょうか。 執筆者 水山 克
 先日、海洋生物研究者の大先輩から面白い話を聞きました。 「どうやら沖縄にはむかしカブトガニがいたらしい。もし興味があれば調査しないかい?」 カブトガニとは
写真1 カブトガニ(古宇利オーシャンタワー内Shell Museumにて撮影)
 カブトガニについて知っていたことと言えば、①シーラカンスやオウムガイのようにはるか昔から姿かたちを変えずに現代まで生き残っている、いわゆる「生きた化石」であること、②干潟に生息しており、日本では開発の影響で個体数が激減したために絶滅危惧種に指定されていること、くらいでした。沖縄に来てからというもの、サンゴ礁の海で数えきれない生き物たちに出会ってきましたが、沖縄の干潟と言えばミナミコメツキガニやシオマネキ類が有名です。まさか、カブトガニがいたなんて考えてもみませんでした。 カブトガニ(学名:Tachypleus tridentatus)は、日本では瀬戸内海と北九州沿岸に生息し、その他では中国大陸の一部、フィリピン、インドネシアにかけて分布していることが知られています(環境省HP)。ここで不思議に思うのは、カブトガニの分布域を地図上で見ると、南西諸島(鹿児島県に属する薩南諸島、沖縄県に属する琉球列島)がすっぽり抜けているんですね。カブトガニに近い仲間では、東南アジアに分布するマルオカブトガニやミナミカブトガニ、あとは北アメリカに分布するアメリカカブトガニがいます。沖縄にいたとすれば、やはりカブトガニ(T. tridentatus)でしょうか。しかし、沖縄に分布するという情報は日本語でも英語でも見つかりませんでした。 沖縄県内のカブトガニ情報
写真2 沖縄のカブトガニ(名護パイナップルパーク内貝類展示館にて撮影)
 次に、大学の図書館から新聞社の各データベースにアクセスし、カブトガニについての新聞記事が過去にあったかどうか調べてみました。すると、1997年4月9日付の沖縄タイムスに「カブトガニ「生きた化石」はクモの仲間」と題された記事を発見。なんと、「県内でも1981年と1986年にそれぞれ糸満沖、名護湾での採集例がある(抜粋)」と記されているではありませんか!!さらに聞き込み調査を行ったところこれらの標本が、名護市のパイナップルパークに併設されている貝類展示館に展示されているとの情報が得られたので、早速話を聞きに行きました。 貝類展示館へ行ってみると、確かにカブトガニの剥製が展示されていました。さらに「科学的な」研究に用いる標本には必要不可欠とされる「採集者名」、「採集年月日」、「採集場所」の情報もありました。ちなみにこれらの情報が欠けていると、多くの場合証拠能力が十分ではないと判断され、科学的に扱うことが難しくなってしまいます。いずれの情報も新聞記事と一致していたため発見した時はとても心が躍りました。 と、こ、ろ、が…。ここに来て意外な落とし穴が。展示担当の職員さんによると現在展示している剥製は県外から仕入れたもので、残念ながら県内で採集されたオリジナルの剥製は破損が生じたため廃棄されてしまった、とのことでした。 唯一の「科学的な」手掛かりを失ってしまったので、そこからは、沖縄の海洋生物を研究する年配の先生方、昔から沖縄の海を知る漁師の方々、海沿いに暮らす地元の人々への聞き取り調査に切り替えて、地道に情報を探すことにしました。すると、「子供の頃に見つけて大騒ぎしたことがある」「昔はたまに見かけたよ」などの目撃情報が、地元の方々から多く得られました。このニュースレターを書いている時点で「科学的な」証拠能力を有する標本、もしくはカブトガニの生存を確認できる情報はまだ得られていません。今は得られた情報の内で有力と思われるものを、一つずつ検証している段階です。ただ興味深いのは、聞き取りを行った地元の方々は誰もが「昔は貝も魚もたくさんいた」という共通の印象を持っていることです。 とらぬカブトガニの甲羅算用 今後もしカブトガニの標本が手に入ったとしたら、それはいったいどのような意味を持つのでしょうか? カブトガニは環境省のレッドデータブックには絶滅危惧IA類と指定されています。ところが、東南アジアでは広範囲に分布し、ごく普通にみられる種であることから、現状では種として絶滅の恐れがあるとは認識されておらず、種の保存法などは適用されていないようです。日本では、2003年に岡山県笠岡市の繁殖地が国の天然記念物に指定されてから、現在では佐賀県伊万里市、愛媛県西条市でも同様に、カブトガニの生息環境が天然記念物として保護されています。天然記念物法では、生き物そのものだけではなく、その生息地や繁殖地も含めた環境をまるごと保全の対象としています。
写真3 埋め立てにより大部分が消失してしまった干潟(沖縄市川田にて撮影)  国内でカブトガニの数がこれほど少なくなってしまった原因として、日本各地で干潟が消失してしまったことが指摘されています。カブトガニの幼個体が生育するための干潟は、埋め立てがしやすい立地条件にあるため人間による開発に晒される場所です。沖縄も例外ではなく、干潟を埋め立てて道路が作られ、町が作られ、経済的発展のために干潟の多くが失われていきました。たとえかつての沖縄にカブトガニが生息していたとしても、その環境の多くは既に失われてしまっているでしょう。
写真4 干潟で貝を採る人々(沖縄市泡瀬にて撮影)  沖縄には浜下り(はまうり)と呼ばれる旧暦3月3日に女性が主となって海岸で魚介類や海藻をとる伝統行事があります。特に沖縄本島の東海岸に位置する泡瀬干潟では浜下りの日に限らず、熊手を持って二枚貝をとるおばぁがたくさんいます。このような干潟に昔カブトガニがいたのかどうかは、今の時点では何とも言えません。しかし、少なくとも沖縄にはまだ干潟を干潟のまま利用している人がいて、そうした場所が減少していることは確かです。地元の人々によって細々と利用されてきた干潟は、これまでに「公衆の利益」のために潰され、その本来の価値を認識されてこなかったのですが、もしカブトガニの生息場所を“その地域の自然を記念するもの”として保全することができるなら、おばぁのおかずとりの場所も保全することができるのではないでしょうか。 執筆者 水山 克
 先日、海洋生物研究者の大先輩から面白い話を聞きました。 「どうやら沖縄にはむかしカブトガニがいたらしい。もし興味があれば調査しないかい?」 カブトガニとは
写真1 カブトガニ(古宇利オーシャンタワー内Shell Museumにて撮影)
 カブトガニについて知っていたことと言えば、①シーラカンスやオウムガイのようにはるか昔から姿かたちを変えずに現代まで生き残っている、いわゆる「生きた化石」であること、②干潟に生息しており、日本では開発の影響で個体数が激減したために絶滅危惧種に指定されていること、くらいでした。沖縄に来てからというもの、サンゴ礁の海で数えきれない生き物たちに出会ってきましたが、沖縄の干潟と言えばミナミコメツキガニやシオマネキ類が有名です。まさか、カブトガニがいたなんて考えてもみませんでした。 カブトガニ(学名:Tachypleus tridentatus)は、日本では瀬戸内海と北九州沿岸に生息し、その他では中国大陸の一部、フィリピン、インドネシアにかけて分布していることが知られています(環境省HP)。ここで不思議に思うのは、カブトガニの分布域を地図上で見ると、南西諸島(鹿児島県に属する薩南諸島、沖縄県に属する琉球列島)がすっぽり抜けているんですね。カブトガニに近い仲間では、東南アジアに分布するマルオカブトガニやミナミカブトガニ、あとは北アメリカに分布するアメリカカブトガニがいます。沖縄にいたとすれば、やはりカブトガニ(T. tridentatus)でしょうか。しかし、沖縄に分布するという情報は日本語でも英語でも見つかりませんでした。 沖縄県内のカブトガニ情報
写真2 沖縄のカブトガニ(名護パイナップルパーク内貝類展示館にて撮影)
 次に、大学の図書館から新聞社の各データベースにアクセスし、カブトガニについての新聞記事が過去にあったかどうか調べてみました。すると、1997年4月9日付の沖縄タイムスに「カブトガニ「生きた化石」はクモの仲間」と題された記事を発見。なんと、「県内でも1981年と1986年にそれぞれ糸満沖、名護湾での採集例がある(抜粋)」と記されているではありませんか!!さらに聞き込み調査を行ったところこれらの標本が、名護市のパイナップルパークに併設されている貝類展示館に展示されているとの情報が得られたので、早速話を聞きに行きました。 貝類展示館へ行ってみると、確かにカブトガニの剥製が展示されていました。さらに「科学的な」研究に用いる標本には必要不可欠とされる「採集者名」、「採集年月日」、「採集場所」の情報もありました。ちなみにこれらの情報が欠けていると、多くの場合証拠能力が十分ではないと判断され、科学的に扱うことが難しくなってしまいます。いずれの情報も新聞記事と一致していたため発見した時はとても心が躍りました。 と、こ、ろ、が…。ここに来て意外な落とし穴が。展示担当の職員さんによると現在展示している剥製は県外から仕入れたもので、残念ながら県内で採集されたオリジナルの剥製は破損が生じたため廃棄されてしまった、とのことでした。 唯一の「科学的な」手掛かりを失ってしまったので、そこからは、沖縄の海洋生物を研究する年配の先生方、昔から沖縄の海を知る漁師の方々、海沿いに暮らす地元の人々への聞き取り調査に切り替えて、地道に情報を探すことにしました。すると、「子供の頃に見つけて大騒ぎしたことがある」「昔はたまに見かけたよ」などの目撃情報が、地元の方々から多く得られました。このニュースレターを書いている時点で「科学的な」証拠能力を有する標本、もしくはカブトガニの生存を確認できる情報はまだ得られていません。今は得られた情報の内で有力と思われるものを、一つずつ検証している段階です。ただ興味深いのは、聞き取りを行った地元の方々は誰もが「昔は貝も魚もたくさんいた」という共通の印象を持っていることです。 とらぬカブトガニの甲羅算用 今後もしカブトガニの標本が手に入ったとしたら、それはいったいどのような意味を持つのでしょうか? カブトガニは環境省のレッドデータブックには絶滅危惧IA類と指定されています。ところが、東南アジアでは広範囲に分布し、ごく普通にみられる種であることから、現状では種として絶滅の恐れがあるとは認識されておらず、種の保存法などは適用されていないようです。日本では、2003年に岡山県笠岡市の繁殖地が国の天然記念物に指定されてから、現在では佐賀県伊万里市、愛媛県西条市でも同様に、カブトガニの生息環境が天然記念物として保護されています。天然記念物法では、生き物そのものだけではなく、その生息地や繁殖地も含めた環境をまるごと保全の対象としています。
写真3 埋め立てにより大部分が消失してしまった干潟(沖縄市川田にて撮影)  国内でカブトガニの数がこれほど少なくなってしまった原因として、日本各地で干潟が消失してしまったことが指摘されています。カブトガニの幼個体が生育するための干潟は、埋め立てがしやすい立地条件にあるため人間による開発に晒される場所です。沖縄も例外ではなく、干潟を埋め立てて道路が作られ、町が作られ、経済的発展のために干潟の多くが失われていきました。たとえかつての沖縄にカブトガニが生息していたとしても、その環境の多くは既に失われてしまっているでしょう。
写真4 干潟で貝を採る人々(沖縄市泡瀬にて撮影)  沖縄には浜下り(はまうり)と呼ばれる旧暦3月3日に女性が主となって海岸で魚介類や海藻をとる伝統行事があります。特に沖縄本島の東海岸に位置する泡瀬干潟では浜下りの日に限らず、熊手を持って二枚貝をとるおばぁがたくさんいます。このような干潟に昔カブトガニがいたのかどうかは、今の時点では何とも言えません。しかし、少なくとも沖縄にはまだ干潟を干潟のまま利用している人がいて、そうした場所が減少していることは確かです。地元の人々によって細々と利用されてきた干潟は、これまでに「公衆の利益」のために潰され、その本来の価値を認識されてこなかったのですが、もしカブトガニの生息場所を“その地域の自然を記念するもの”として保全することができるなら、おばぁのおかずとりの場所も保全することができるのではないでしょうか。 執筆者 水山 克