ニュースレター「サンゴ礁の自然環境」

2016年4月号

子どもたちに大人気のクワガタムシ!

じゃあ、海のクワガタムシは?

図1:オスの成体 図1:メスの整体
図:3 ズフェア幼生 図4:プラニザ幼生
北アフリカからヨーロッパの塩性湿地に生活する Paragnathia formica という種は、オスは泥の表面に巣穴を掘り、未成熟のメスを多数引き込んでハーレムを形成します。オスは、未成熟のメスを捕まえるため「交尾前ガード」と呼ばれる行動を行います。これは、成熟したオスが未成熟のメスを他のオスから取られないようにするための行動です。「交尾前ガード」は節足動物にはよく見られる行動と言われており、相手をはさみでつかんだり、相手にしがみついたりと、その行動は種によっても様々です。ウミクワガタの研究者である、琉球大学大学院理工学研究科の林さんによると、ウミクワガタ類のある種では、飼育環境下ではオスの成体が3齢のプラニザ幼生に抱き付く様子が観察されているとのことです。ウミクワガタの体サイズは小さく、海の中は広いので、成熟したオスとメスが出会う確率はそれほど高くないはずです。確実に繁殖活動が出来るようにこのような戦略を取っているのでしょう。ウミクワガタ幼生は雌雄間で形態に差がなく、成体に変態するまで雌雄を判別することはできないとされます。でも、ウミクワガタ同士はオスとメスをちゃんと区別しているのかもしれませんね。 ウミクワガタの幼生は吸血を行いますが、成体には吸血用の口器が無く、餌をまったく摂らずに繁殖行動だけを行います。メス成体は腹部に未受精卵を抱え、交尾後の受精卵はメスの体内で発達します。幼生は卵の孵化と同時にメスの腹部を破って出てくるため、産卵後にメスは死亡してしまいます。オスは引き続き複数回他のメスと交尾を行うようですが、オス同士を同所的に飼育したところ、大アゴを用いて喧嘩をする様子が観察されています。オスはメスの獲得のため、熾烈な争いが日夜繰り広げられているとするとオスはオスで大変なのかもしれません。 食うか食われるかの果てに 一般的に甲殻類は数回から十数回の脱皮を経て成体となりますが、ウミクワガタはたった三回の脱皮を経て成体になります。ウミクワガタの脱皮は寄生→吸血→帰巣(移動)→脱皮といった他の甲殻類にはない過程を経るので、何度も寄生行動を行うことは捕食されたり、無防備なまま脱皮場所を探したりと、大きなリスクが伴ってきます(Upton, 1987)。出来る限りこの過程を少なくしたのがウミクワガタの生き方なのでしょう。 では、ウミクワガタを捕食する生き物はどんなものがいるのでしょうか。みなさんはクリーナーフィッシュという言葉はご存知でしょうか。一昔前に「ドクターフィッシュ」という人の角質を食べてくれる淡水魚が話題になりましたが、海の中にも人の角質・・・ではなく、魚の体表についた寄生虫を食べて生活する魚がいます。日本ではホンソメワケベラ( Labroides dimidiatus )が最もよく知られています。ホンソメワケベラは魚の体表にくっついた寄生虫を好んで食べることから、ウミクワガタの天敵と考えられています。オーストラリアのグレートバリアリーフにおいて Grutter (1996) が行った研究によると、1匹のホンソメワケベラが1日に食べる寄生虫の数は1,200匹と見積もられており、その胃内容物の99%以上がウミクワガタであったとされています。ウミクワガタは大きなリスクを背負いながら吸血生活をおくり、このような苦難を乗り越えた個体だけが成体となり繁殖活動を行います。「寄生」というと他の生き物を利用し楽な生活をしているというイメージがあるかと思いますが、ウミクワガタの世界においてはそうとも言えないようです。 ウミクワガタの捕まえ方 実はウミクワガタ、幼生は成体になるための何らかの条件があるようです(林, 2016)。その条件を明らかにするため、私の所属する研究室ではウミクワガタの採集・飼育を行っています。採集方法は一部のプランクトンが持っている光に集まる習性を利用するというもので、ウミクワガタ幼生も光に集まります。夜間に漁港などに行き、その海面をライトで照らすと、プランクトンが光に集まってくるので、金魚網ですくい取ります。それを大型の瓶に入れて持って帰り、バットなどの浅い容器に広げてウミクワガタ幼生だけをピックアップします。成体は遊泳能力が低く、ライトの光には寄ってこないので、上記の方法で捕まえることはなかなか出来ませんが、ズフェア幼生とプラニザ幼生は捕まえることが出来ます。脱皮を行うのは血を吸った後のプラニザ幼生だけなので、採集したプラニザ幼生はペットボトルのキャップほどの容器に移して一個体ずつ飼育します。ウミクワガタの足場となるように木綿の布の切れ端を入れ、毎日水換えを行うと1−2週間ほどで脱皮します。光に集まってきた魚を捕らえて、血を吸ってないズフェア幼生と一緒に飼育すると、図5のように幼生が魚の血を吸っている様子が観察できるかもしれません。
図:吸血中のプラニザ幼生  血をたっぷり吸った幼生はプラニザ幼生となり、その後魚から離れてます。運良く3齢のプラニザ幼生をゲットできれば、飼育して成体のウミクワガタに脱皮・変態するのを観察できるでしょう。 ミクロな世界の入り口へ ミクロな生き物はそのサイズ故、注目されることはあまりありません。しかし、目に見えるマクロの世界が全てではなく、目に見えないミクロの世界は意識していないだけで広大に存在しています。今回紹介したかっこいいフォルムをもつウミクワガタは見る人を惹き付け、言うなればミクロの世界へ誘う案内人です。ウミクワガタをはじめ、目に見えない(にくい)世界の住人を探しにフィールドへ飛び出してみてはいかがでしょうか。 ※今回掲載した写真は全て、琉球大学大学院理工学研究科の林 千晶さんからご提供頂きました。この場を借りて深くお礼を申し上げます。 引用文献 Grutter, A. S. 1996. Parasite removal rates by the cleaner wrasse Labroides dimidiatus. Mar. Ecol. Prog. Ser., 130: 61-70 Upton, N. P. D. 1987. Asynchronous male and female life cycles in the sexually dimorphic, harem-forming isopod Paragnatia formica (Crustacea: Isopod). J. Zool., 212: 677-690 林千晶, 2016. ウミクワガタ幼生からメス成体への変態要因 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 松田遥, 2016. 吸血によるウミクワガタ幼生の胸部の膨張機構 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 執筆者 魚住 亮輔
クワガタムシを捕まえたことはあるでしょうか?特に男の子なら一度は森で捕まえたり、飼育したことがあると思います。私は子どもの頃に田舎に住んでいたので、父と一緒にクワガタムシを取りによく森に行っていました。クワガタムシがいるクヌギは、クワガタムシだけでなくカナブンやチョウ、アリが群れていて、そこは森のオアシスと言ってもよいかもしれません。時には狙いのクワガタムシの隣にスズメバチがいて攻撃に遭うなど、危険とも隣り合わせでした。子どもながらに森は人ではなく動物たちの世界なのだと畏敬の念を抱きました。 そんな子どもたちに大人気のクワガタムシですが、実は海にもクワガタムシがいるのです。そう、その名も「ウミクワガタ」(図1)。クワガタムシのような大きなアゴに、ずんぐりとした胴体。もう見るからにクワガタムシではありませんか?また、ウミクワガタのオスは大アゴを持ち、メス(図2)はアゴをもたないという特徴があり、この点もクワガタムシとそっくりです(このようにオスとメスの形態が異なることを性的二型と呼びます)。 ただし、似ているのはその体の形だけで、クワガタムシとは全く異なる生き物です。クワガタムシを含む昆虫の特徴として、脚が6本という点が挙げられますが、ウミクワガタの脚は10本あり、また体にはエビの尻尾のようなものが付いています。加えて、成体のサイズは数mm程かありません。
図1:オスの成体 図1:メスの整体
ウミクワガタは甲殻類の等脚目に属します。等脚目にはダンゴムシやフナムシ、そして最近認知度が急上昇したダイオウグソクムシも含まれます。ウミクワガタはその親戚だと考えてもらえばいいかと思います。 さて、そのウミクワガタですが、生まれたときからクワガタムシのようなアゴを持っているわけではありません。幼生の頃はクワガタムシと似ても似つかぬ形態をしています。幼生は大きな複眼と針状の口を持っており、その口を魚に突き刺し体液を吸います。つまり寄生虫と同じく宿主に寄生することで栄養を得ています(宿主の体表に一時的、長期にわたって寄生生活を行うものを外部寄生虫と呼びます。ウミクワガタも外部寄生虫です)。ウミクワガタは魚の血を吸う『吸血鬼』と言い換えてもいいかもしれません。幼生の胸部の一部の表皮はシワ状に多量に折り畳まれており、魚の体液を吸うと、そのシワが伸びて風船のように膨らみます(松田, 2016)。 体液を吸う前の幼生をズフェア( zuphea )幼生(図3)、体液を吸った後の幼生をプラニザ( praniza )幼生(図4)と区別し、ウミクワガタは卵→ズフェア幼生(1齢)→吸血→プラニザ幼生(1齢)→脱皮→ズフェア幼生(2齢)→・・・→プラニザ幼生(3齢)→脱皮→成体と成長します。またその過程は、寄生相手の魚を探して体表に取り付いたり、吸血後は安全に脱皮が出来る場所を探したりと困難を極めます。ウミクワガタ幼生は孵化後、3回の吸血と脱皮を繰り返し、ようやく図1、2のような成体へと変態します。 ウミクワガタの暮らし ウミクワガタはどんなところで暮らしているのでしょうか。その生活環境は種によって様々です。日本の九州・本州の潮間帯岩礁域に生息するシカツノウミクワガタ( Elaphognathia cornigera )はクロイソカイメン( Halichondria okadai ) などのカイメン類の中から見つかります。
図:3 ズフェア幼生 図4:プラニザ幼生
北アフリカからヨーロッパの塩性湿地に生活する Paragnathia formica という種は、オスは泥の表面に巣穴を掘り、未成熟のメスを多数引き込んでハーレムを形成します。オスは、未成熟のメスを捕まえるため「交尾前ガード」と呼ばれる行動を行います。これは、成熟したオスが未成熟のメスを他のオスから取られないようにするための行動です。「交尾前ガード」は節足動物にはよく見られる行動と言われており、相手をはさみでつかんだり、相手にしがみついたりと、その行動は種によっても様々です。ウミクワガタの研究者である、琉球大学大学院理工学研究科の林さんによると、ウミクワガタ類のある種では、飼育環境下ではオスの成体が3齢のプラニザ幼生に抱き付く様子が観察されているとのことです。ウミクワガタの体サイズは小さく、海の中は広いので、成熟したオスとメスが出会う確率はそれほど高くないはずです。確実に繁殖活動が出来るようにこのような戦略を取っているのでしょう。ウミクワガタ幼生は雌雄間で形態に差がなく、成体に変態するまで雌雄を判別することはできないとされます。でも、ウミクワガタ同士はオスとメスをちゃんと区別しているのかもしれませんね。 ウミクワガタの幼生は吸血を行いますが、成体には吸血用の口器が無く、餌をまったく摂らずに繁殖行動だけを行います。メス成体は腹部に未受精卵を抱え、交尾後の受精卵はメスの体内で発達します。幼生は卵の孵化と同時にメスの腹部を破って出てくるため、産卵後にメスは死亡してしまいます。オスは引き続き複数回他のメスと交尾を行うようですが、オス同士を同所的に飼育したところ、大アゴを用いて喧嘩をする様子が観察されています。オスはメスの獲得のため、熾烈な争いが日夜繰り広げられているとするとオスはオスで大変なのかもしれません。 食うか食われるかの果てに 一般的に甲殻類は数回から十数回の脱皮を経て成体となりますが、ウミクワガタはたった三回の脱皮を経て成体になります。ウミクワガタの脱皮は寄生→吸血→帰巣(移動)→脱皮といった他の甲殻類にはない過程を経るので、何度も寄生行動を行うことは捕食されたり、無防備なまま脱皮場所を探したりと、大きなリスクが伴ってきます(Upton, 1987)。出来る限りこの過程を少なくしたのがウミクワガタの生き方なのでしょう。 では、ウミクワガタを捕食する生き物はどんなものがいるのでしょうか。みなさんはクリーナーフィッシュという言葉はご存知でしょうか。一昔前に「ドクターフィッシュ」という人の角質を食べてくれる淡水魚が話題になりましたが、海の中にも人の角質・・・ではなく、魚の体表についた寄生虫を食べて生活する魚がいます。日本ではホンソメワケベラ( Labroides dimidiatus )が最もよく知られています。ホンソメワケベラは魚の体表にくっついた寄生虫を好んで食べることから、ウミクワガタの天敵と考えられています。オーストラリアのグレートバリアリーフにおいて Grutter (1996) が行った研究によると、1匹のホンソメワケベラが1日に食べる寄生虫の数は1,200匹と見積もられており、その胃内容物の99%以上がウミクワガタであったとされています。ウミクワガタは大きなリスクを背負いながら吸血生活をおくり、このような苦難を乗り越えた個体だけが成体となり繁殖活動を行います。「寄生」というと他の生き物を利用し楽な生活をしているというイメージがあるかと思いますが、ウミクワガタの世界においてはそうとも言えないようです。 ウミクワガタの捕まえ方 実はウミクワガタ、幼生は成体になるための何らかの条件があるようです(林, 2016)。その条件を明らかにするため、私の所属する研究室ではウミクワガタの採集・飼育を行っています。採集方法は一部のプランクトンが持っている光に集まる習性を利用するというもので、ウミクワガタ幼生も光に集まります。夜間に漁港などに行き、その海面をライトで照らすと、プランクトンが光に集まってくるので、金魚網ですくい取ります。それを大型の瓶に入れて持って帰り、バットなどの浅い容器に広げてウミクワガタ幼生だけをピックアップします。成体は遊泳能力が低く、ライトの光には寄ってこないので、上記の方法で捕まえることはなかなか出来ませんが、ズフェア幼生とプラニザ幼生は捕まえることが出来ます。脱皮を行うのは血を吸った後のプラニザ幼生だけなので、採集したプラニザ幼生はペットボトルのキャップほどの容器に移して一個体ずつ飼育します。ウミクワガタの足場となるように木綿の布の切れ端を入れ、毎日水換えを行うと1−2週間ほどで脱皮します。光に集まってきた魚を捕らえて、血を吸ってないズフェア幼生と一緒に飼育すると、図5のように幼生が魚の血を吸っている様子が観察できるかもしれません。
図:吸血中のプラニザ幼生  血をたっぷり吸った幼生はプラニザ幼生となり、その後魚から離れてます。運良く3齢のプラニザ幼生をゲットできれば、飼育して成体のウミクワガタに脱皮・変態するのを観察できるでしょう。 ミクロな世界の入り口へ ミクロな生き物はそのサイズ故、注目されることはあまりありません。しかし、目に見えるマクロの世界が全てではなく、目に見えないミクロの世界は意識していないだけで広大に存在しています。今回紹介したかっこいいフォルムをもつウミクワガタは見る人を惹き付け、言うなればミクロの世界へ誘う案内人です。ウミクワガタをはじめ、目に見えない(にくい)世界の住人を探しにフィールドへ飛び出してみてはいかがでしょうか。 ※今回掲載した写真は全て、琉球大学大学院理工学研究科の林 千晶さんからご提供頂きました。この場を借りて深くお礼を申し上げます。 引用文献 Grutter, A. S. 1996. Parasite removal rates by the cleaner wrasse Labroides dimidiatus. Mar. Ecol. Prog. Ser., 130: 61-70 Upton, N. P. D. 1987. Asynchronous male and female life cycles in the sexually dimorphic, harem-forming isopod Paragnatia formica (Crustacea: Isopod). J. Zool., 212: 677-690 林千晶, 2016. ウミクワガタ幼生からメス成体への変態要因 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 松田遥, 2016. 吸血によるウミクワガタ幼生の胸部の膨張機構 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 執筆者 魚住 亮輔
クワガタムシを捕まえたことはあるでしょうか?特に男の子なら一度は森で捕まえたり、飼育したことがあると思います。私は子どもの頃に田舎に住んでいたので、父と一緒にクワガタムシを取りによく森に行っていました。クワガタムシがいるクヌギは、クワガタムシだけでなくカナブンやチョウ、アリが群れていて、そこは森のオアシスと言ってもよいかもしれません。時には狙いのクワガタムシの隣にスズメバチがいて攻撃に遭うなど、危険とも隣り合わせでした。子どもながらに森は人ではなく動物たちの世界なのだと畏敬の念を抱きました。 そんな子どもたちに大人気のクワガタムシですが、実は海にもクワガタムシがいるのです。そう、その名も「ウミクワガタ」(図1)。クワガタムシのような大きなアゴに、ずんぐりとした胴体。もう見るからにクワガタムシではありませんか?また、ウミクワガタのオスは大アゴを持ち、メス(図2)はアゴをもたないという特徴があり、この点もクワガタムシとそっくりです(このようにオスとメスの形態が異なることを性的二型と呼びます)。 ただし、似ているのはその体の形だけで、クワガタムシとは全く異なる生き物です。クワガタムシを含む昆虫の特徴として、脚が6本という点が挙げられますが、ウミクワガタの脚は10本あり、また体にはエビの尻尾のようなものが付いています。加えて、成体のサイズは数mm程かありません。
図1:オスの成体 図1:メスの整体
ウミクワガタは甲殻類の等脚目に属します。等脚目にはダンゴムシやフナムシ、そして最近認知度が急上昇したダイオウグソクムシも含まれます。ウミクワガタはその親戚だと考えてもらえばいいかと思います。 さて、そのウミクワガタですが、生まれたときからクワガタムシのようなアゴを持っているわけではありません。幼生の頃はクワガタムシと似ても似つかぬ形態をしています。幼生は大きな複眼と針状の口を持っており、その口を魚に突き刺し体液を吸います。つまり寄生虫と同じく宿主に寄生することで栄養を得ています(宿主の体表に一時的、長期にわたって寄生生活を行うものを外部寄生虫と呼びます。ウミクワガタも外部寄生虫です)。ウミクワガタは魚の血を吸う『吸血鬼』と言い換えてもいいかもしれません。幼生の胸部の一部の表皮はシワ状に多量に折り畳まれており、魚の体液を吸うと、そのシワが伸びて風船のように膨らみます(松田, 2016)。 体液を吸う前の幼生をズフェア( zuphea )幼生(図3)、体液を吸った後の幼生をプラニザ( praniza )幼生(図4)と区別し、ウミクワガタは卵→ズフェア幼生(1齢)→吸血→プラニザ幼生(1齢)→脱皮→ズフェア幼生(2齢)→・・・→プラニザ幼生(3齢)→脱皮→成体と成長します。またその過程は、寄生相手の魚を探して体表に取り付いたり、吸血後は安全に脱皮が出来る場所を探したりと困難を極めます。ウミクワガタ幼生は孵化後、3回の吸血と脱皮を繰り返し、ようやく図1、2のような成体へと変態します。 ウミクワガタの暮らし ウミクワガタはどんなところで暮らしているのでしょうか。その生活環境は種によって様々です。日本の九州・本州の潮間帯岩礁域に生息するシカツノウミクワガタ( Elaphognathia cornigera )はクロイソカイメン( Halichondria okadai ) などのカイメン類の中から見つかります。
図:3 ズフェア幼生 図4:プラニザ幼生
北アフリカからヨーロッパの塩性湿地に生活する Paragnathia formica という種は、オスは泥の表面に巣穴を掘り、未成熟のメスを多数引き込んでハーレムを形成します。オスは、未成熟のメスを捕まえるため「交尾前ガード」と呼ばれる行動を行います。これは、成熟したオスが未成熟のメスを他のオスから取られないようにするための行動です。「交尾前ガード」は節足動物にはよく見られる行動と言われており、相手をはさみでつかんだり、相手にしがみついたりと、その行動は種によっても様々です。ウミクワガタの研究者である、琉球大学大学院理工学研究科の林さんによると、ウミクワガタ類のある種では、飼育環境下ではオスの成体が3齢のプラニザ幼生に抱き付く様子が観察されているとのことです。ウミクワガタの体サイズは小さく、海の中は広いので、成熟したオスとメスが出会う確率はそれほど高くないはずです。確実に繁殖活動が出来るようにこのような戦略を取っているのでしょう。ウミクワガタ幼生は雌雄間で形態に差がなく、成体に変態するまで雌雄を判別することはできないとされます。でも、ウミクワガタ同士はオスとメスをちゃんと区別しているのかもしれませんね。 ウミクワガタの幼生は吸血を行いますが、成体には吸血用の口器が無く、餌をまったく摂らずに繁殖行動だけを行います。メス成体は腹部に未受精卵を抱え、交尾後の受精卵はメスの体内で発達します。幼生は卵の孵化と同時にメスの腹部を破って出てくるため、産卵後にメスは死亡してしまいます。オスは引き続き複数回他のメスと交尾を行うようですが、オス同士を同所的に飼育したところ、大アゴを用いて喧嘩をする様子が観察されています。オスはメスの獲得のため、熾烈な争いが日夜繰り広げられているとするとオスはオスで大変なのかもしれません。 食うか食われるかの果てに 一般的に甲殻類は数回から十数回の脱皮を経て成体となりますが、ウミクワガタはたった三回の脱皮を経て成体になります。ウミクワガタの脱皮は寄生→吸血→帰巣(移動)→脱皮といった他の甲殻類にはない過程を経るので、何度も寄生行動を行うことは捕食されたり、無防備なまま脱皮場所を探したりと、大きなリスクが伴ってきます(Upton, 1987)。出来る限りこの過程を少なくしたのがウミクワガタの生き方なのでしょう。 では、ウミクワガタを捕食する生き物はどんなものがいるのでしょうか。みなさんはクリーナーフィッシュという言葉はご存知でしょうか。一昔前に「ドクターフィッシュ」という人の角質を食べてくれる淡水魚が話題になりましたが、海の中にも人の角質・・・ではなく、魚の体表についた寄生虫を食べて生活する魚がいます。日本ではホンソメワケベラ( Labroides dimidiatus )が最もよく知られています。ホンソメワケベラは魚の体表にくっついた寄生虫を好んで食べることから、ウミクワガタの天敵と考えられています。オーストラリアのグレートバリアリーフにおいて Grutter (1996) が行った研究によると、1匹のホンソメワケベラが1日に食べる寄生虫の数は1,200匹と見積もられており、その胃内容物の99%以上がウミクワガタであったとされています。ウミクワガタは大きなリスクを背負いながら吸血生活をおくり、このような苦難を乗り越えた個体だけが成体となり繁殖活動を行います。「寄生」というと他の生き物を利用し楽な生活をしているというイメージがあるかと思いますが、ウミクワガタの世界においてはそうとも言えないようです。 ウミクワガタの捕まえ方 実はウミクワガタ、幼生は成体になるための何らかの条件があるようです(林, 2016)。その条件を明らかにするため、私の所属する研究室ではウミクワガタの採集・飼育を行っています。採集方法は一部のプランクトンが持っている光に集まる習性を利用するというもので、ウミクワガタ幼生も光に集まります。夜間に漁港などに行き、その海面をライトで照らすと、プランクトンが光に集まってくるので、金魚網ですくい取ります。それを大型の瓶に入れて持って帰り、バットなどの浅い容器に広げてウミクワガタ幼生だけをピックアップします。成体は遊泳能力が低く、ライトの光には寄ってこないので、上記の方法で捕まえることはなかなか出来ませんが、ズフェア幼生とプラニザ幼生は捕まえることが出来ます。脱皮を行うのは血を吸った後のプラニザ幼生だけなので、採集したプラニザ幼生はペットボトルのキャップほどの容器に移して一個体ずつ飼育します。ウミクワガタの足場となるように木綿の布の切れ端を入れ、毎日水換えを行うと1−2週間ほどで脱皮します。光に集まってきた魚を捕らえて、血を吸ってないズフェア幼生と一緒に飼育すると、図5のように幼生が魚の血を吸っている様子が観察できるかもしれません。
図:吸血中のプラニザ幼生  血をたっぷり吸った幼生はプラニザ幼生となり、その後魚から離れてます。運良く3齢のプラニザ幼生をゲットできれば、飼育して成体のウミクワガタに脱皮・変態するのを観察できるでしょう。 ミクロな世界の入り口へ ミクロな生き物はそのサイズ故、注目されることはあまりありません。しかし、目に見えるマクロの世界が全てではなく、目に見えないミクロの世界は意識していないだけで広大に存在しています。今回紹介したかっこいいフォルムをもつウミクワガタは見る人を惹き付け、言うなればミクロの世界へ誘う案内人です。ウミクワガタをはじめ、目に見えない(にくい)世界の住人を探しにフィールドへ飛び出してみてはいかがでしょうか。 ※今回掲載した写真は全て、琉球大学大学院理工学研究科の林 千晶さんからご提供頂きました。この場を借りて深くお礼を申し上げます。 引用文献 Grutter, A. S. 1996. Parasite removal rates by the cleaner wrasse Labroides dimidiatus. Mar. Ecol. Prog. Ser., 130: 61-70 Upton, N. P. D. 1987. Asynchronous male and female life cycles in the sexually dimorphic, harem-forming isopod Paragnatia formica (Crustacea: Isopod). J. Zool., 212: 677-690 林千晶, 2016. ウミクワガタ幼生からメス成体への変態要因 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 松田遥, 2016. 吸血によるウミクワガタ幼生の胸部の膨張機構 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 執筆者 魚住 亮輔
クワガタムシを捕まえたことはあるでしょうか?特に男の子なら一度は森で捕まえたり、飼育したことがあると思います。私は子どもの頃に田舎に住んでいたので、父と一緒にクワガタムシを取りによく森に行っていました。クワガタムシがいるクヌギは、クワガタムシだけでなくカナブンやチョウ、アリが群れていて、そこは森のオアシスと言ってもよいかもしれません。時には狙いのクワガタムシの隣にスズメバチがいて攻撃に遭うなど、危険とも隣り合わせでした。子どもながらに森は人ではなく動物たちの世界なのだと畏敬の念を抱きました。 そんな子どもたちに大人気のクワガタムシですが、実は海にもクワガタムシがいるのです。そう、その名も「ウミクワガタ」(図1)。クワガタムシのような大きなアゴに、ずんぐりとした胴体。もう見るからにクワガタムシではありませんか?また、ウミクワガタのオスは大アゴを持ち、メス(図2)はアゴをもたないという特徴があり、この点もクワガタムシとそっくりです(このようにオスとメスの形態が異なることを性的二型と呼びます)。 ただし、似ているのはその体の形だけで、クワガタムシとは全く異なる生き物です。クワガタムシを含む昆虫の特徴として、脚が6本という点が挙げられますが、ウミクワガタの脚は10本あり、また体にはエビの尻尾のようなものが付いています。加えて、成体のサイズは数mm程かありません。
図1:オスの成体 図1:メスの整体
ウミクワガタは甲殻類の等脚目に属します。等脚目にはダンゴムシやフナムシ、そして最近認知度が急上昇したダイオウグソクムシも含まれます。ウミクワガタはその親戚だと考えてもらえばいいかと思います。 さて、そのウミクワガタですが、生まれたときからクワガタムシのようなアゴを持っているわけではありません。幼生の頃はクワガタムシと似ても似つかぬ形態をしています。幼生は大きな複眼と針状の口を持っており、その口を魚に突き刺し体液を吸います。つまり寄生虫と同じく宿主に寄生することで栄養を得ています(宿主の体表に一時的、長期にわたって寄生生活を行うものを外部寄生虫と呼びます。ウミクワガタも外部寄生虫です)。ウミクワガタは魚の血を吸う『吸血鬼』と言い換えてもいいかもしれません。幼生の胸部の一部の表皮はシワ状に多量に折り畳まれており、魚の体液を吸うと、そのシワが伸びて風船のように膨らみます(松田, 2016)。 体液を吸う前の幼生をズフェア( zuphea )幼生(図3)、体液を吸った後の幼生をプラニザ( praniza )幼生(図4)と区別し、ウミクワガタは卵→ズフェア幼生(1齢)→吸血→プラニザ幼生(1齢)→脱皮→ズフェア幼生(2齢)→・・・→プラニザ幼生(3齢)→脱皮→成体と成長します。またその過程は、寄生相手の魚を探して体表に取り付いたり、吸血後は安全に脱皮が出来る場所を探したりと困難を極めます。ウミクワガタ幼生は孵化後、3回の吸血と脱皮を繰り返し、ようやく図1、2のような成体へと変態します。 ウミクワガタの暮らし ウミクワガタはどんなところで暮らしているのでしょうか。その生活環境は種によって様々です。日本の九州・本州の潮間帯岩礁域に生息するシカツノウミクワガタ( Elaphognathia cornigera )はクロイソカイメン( Halichondria okadai ) などのカイメン類の中から見つかります。
図:3 ズフェア幼生 図4:プラニザ幼生
北アフリカからヨーロッパの塩性湿地に生活する Paragnathia formica という種は、オスは泥の表面に巣穴を掘り、未成熟のメスを多数引き込んでハーレムを形成します。オスは、未成熟のメスを捕まえるため「交尾前ガード」と呼ばれる行動を行います。これは、成熟したオスが未成熟のメスを他のオスから取られないようにするための行動です。「交尾前ガード」は節足動物にはよく見られる行動と言われており、相手をはさみでつかんだり、相手にしがみついたりと、その行動は種によっても様々です。ウミクワガタの研究者である、琉球大学大学院理工学研究科の林さんによると、ウミクワガタ類のある種では、飼育環境下ではオスの成体が3齢のプラニザ幼生に抱き付く様子が観察されているとのことです。ウミクワガタの体サイズは小さく、海の中は広いので、成熟したオスとメスが出会う確率はそれほど高くないはずです。確実に繁殖活動が出来るようにこのような戦略を取っているのでしょう。ウミクワガタ幼生は雌雄間で形態に差がなく、成体に変態するまで雌雄を判別することはできないとされます。でも、ウミクワガタ同士はオスとメスをちゃんと区別しているのかもしれませんね。 ウミクワガタの幼生は吸血を行いますが、成体には吸血用の口器が無く、餌をまったく摂らずに繁殖行動だけを行います。メス成体は腹部に未受精卵を抱え、交尾後の受精卵はメスの体内で発達します。幼生は卵の孵化と同時にメスの腹部を破って出てくるため、産卵後にメスは死亡してしまいます。オスは引き続き複数回他のメスと交尾を行うようですが、オス同士を同所的に飼育したところ、大アゴを用いて喧嘩をする様子が観察されています。オスはメスの獲得のため、熾烈な争いが日夜繰り広げられているとするとオスはオスで大変なのかもしれません。 食うか食われるかの果てに 一般的に甲殻類は数回から十数回の脱皮を経て成体となりますが、ウミクワガタはたった三回の脱皮を経て成体になります。ウミクワガタの脱皮は寄生→吸血→帰巣(移動)→脱皮といった他の甲殻類にはない過程を経るので、何度も寄生行動を行うことは捕食されたり、無防備なまま脱皮場所を探したりと、大きなリスクが伴ってきます(Upton, 1987)。出来る限りこの過程を少なくしたのがウミクワガタの生き方なのでしょう。 では、ウミクワガタを捕食する生き物はどんなものがいるのでしょうか。みなさんはクリーナーフィッシュという言葉はご存知でしょうか。一昔前に「ドクターフィッシュ」という人の角質を食べてくれる淡水魚が話題になりましたが、海の中にも人の角質・・・ではなく、魚の体表についた寄生虫を食べて生活する魚がいます。日本ではホンソメワケベラ( Labroides dimidiatus )が最もよく知られています。ホンソメワケベラは魚の体表にくっついた寄生虫を好んで食べることから、ウミクワガタの天敵と考えられています。オーストラリアのグレートバリアリーフにおいて Grutter (1996) が行った研究によると、1匹のホンソメワケベラが1日に食べる寄生虫の数は1,200匹と見積もられており、その胃内容物の99%以上がウミクワガタであったとされています。ウミクワガタは大きなリスクを背負いながら吸血生活をおくり、このような苦難を乗り越えた個体だけが成体となり繁殖活動を行います。「寄生」というと他の生き物を利用し楽な生活をしているというイメージがあるかと思いますが、ウミクワガタの世界においてはそうとも言えないようです。 ウミクワガタの捕まえ方 実はウミクワガタ、幼生は成体になるための何らかの条件があるようです(林, 2016)。その条件を明らかにするため、私の所属する研究室ではウミクワガタの採集・飼育を行っています。採集方法は一部のプランクトンが持っている光に集まる習性を利用するというもので、ウミクワガタ幼生も光に集まります。夜間に漁港などに行き、その海面をライトで照らすと、プランクトンが光に集まってくるので、金魚網ですくい取ります。それを大型の瓶に入れて持って帰り、バットなどの浅い容器に広げてウミクワガタ幼生だけをピックアップします。成体は遊泳能力が低く、ライトの光には寄ってこないので、上記の方法で捕まえることはなかなか出来ませんが、ズフェア幼生とプラニザ幼生は捕まえることが出来ます。脱皮を行うのは血を吸った後のプラニザ幼生だけなので、採集したプラニザ幼生はペットボトルのキャップほどの容器に移して一個体ずつ飼育します。ウミクワガタの足場となるように木綿の布の切れ端を入れ、毎日水換えを行うと1−2週間ほどで脱皮します。光に集まってきた魚を捕らえて、血を吸ってないズフェア幼生と一緒に飼育すると、図5のように幼生が魚の血を吸っている様子が観察できるかもしれません。
図:吸血中のプラニザ幼生  血をたっぷり吸った幼生はプラニザ幼生となり、その後魚から離れてます。運良く3齢のプラニザ幼生をゲットできれば、飼育して成体のウミクワガタに脱皮・変態するのを観察できるでしょう。 ミクロな世界の入り口へ ミクロな生き物はそのサイズ故、注目されることはあまりありません。しかし、目に見えるマクロの世界が全てではなく、目に見えないミクロの世界は意識していないだけで広大に存在しています。今回紹介したかっこいいフォルムをもつウミクワガタは見る人を惹き付け、言うなればミクロの世界へ誘う案内人です。ウミクワガタをはじめ、目に見えない(にくい)世界の住人を探しにフィールドへ飛び出してみてはいかがでしょうか。 ※今回掲載した写真は全て、琉球大学大学院理工学研究科の林 千晶さんからご提供頂きました。この場を借りて深くお礼を申し上げます。 引用文献 Grutter, A. S. 1996. Parasite removal rates by the cleaner wrasse Labroides dimidiatus. Mar. Ecol. Prog. Ser., 130: 61-70 Upton, N. P. D. 1987. Asynchronous male and female life cycles in the sexually dimorphic, harem-forming isopod Paragnatia formica (Crustacea: Isopod). J. Zool., 212: 677-690 林千晶, 2016. ウミクワガタ幼生からメス成体への変態要因 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 松田遥, 2016. 吸血によるウミクワガタ幼生の胸部の膨張機構 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 執筆者 魚住 亮輔
クワガタムシを捕まえたことはあるでしょうか?特に男の子なら一度は森で捕まえたり、飼育したことがあると思います。私は子どもの頃に田舎に住んでいたので、父と一緒にクワガタムシを取りによく森に行っていました。クワガタムシがいるクヌギは、クワガタムシだけでなくカナブンやチョウ、アリが群れていて、そこは森のオアシスと言ってもよいかもしれません。時には狙いのクワガタムシの隣にスズメバチがいて攻撃に遭うなど、危険とも隣り合わせでした。子どもながらに森は人ではなく動物たちの世界なのだと畏敬の念を抱きました。 そんな子どもたちに大人気のクワガタムシですが、実は海にもクワガタムシがいるのです。そう、その名も「ウミクワガタ」(図1)。クワガタムシのような大きなアゴに、ずんぐりとした胴体。もう見るからにクワガタムシではありませんか?また、ウミクワガタのオスは大アゴを持ち、メス(図2)はアゴをもたないという特徴があり、この点もクワガタムシとそっくりです(このようにオスとメスの形態が異なることを性的二型と呼びます)。 ただし、似ているのはその体の形だけで、クワガタムシとは全く異なる生き物です。クワガタムシを含む昆虫の特徴として、脚が6本という点が挙げられますが、ウミクワガタの脚は10本あり、また体にはエビの尻尾のようなものが付いています。加えて、成体のサイズは数mm程かありません。
図1:オスの成体 図1:メスの整体
ウミクワガタは甲殻類の等脚目に属します。等脚目にはダンゴムシやフナムシ、そして最近認知度が急上昇したダイオウグソクムシも含まれます。ウミクワガタはその親戚だと考えてもらえばいいかと思います。 さて、そのウミクワガタですが、生まれたときからクワガタムシのようなアゴを持っているわけではありません。幼生の頃はクワガタムシと似ても似つかぬ形態をしています。幼生は大きな複眼と針状の口を持っており、その口を魚に突き刺し体液を吸います。つまり寄生虫と同じく宿主に寄生することで栄養を得ています(宿主の体表に一時的、長期にわたって寄生生活を行うものを外部寄生虫と呼びます。ウミクワガタも外部寄生虫です)。ウミクワガタは魚の血を吸う『吸血鬼』と言い換えてもいいかもしれません。幼生の胸部の一部の表皮はシワ状に多量に折り畳まれており、魚の体液を吸うと、そのシワが伸びて風船のように膨らみます(松田, 2016)。 体液を吸う前の幼生をズフェア( zuphea )幼生(図3)、体液を吸った後の幼生をプラニザ( praniza )幼生(図4)と区別し、ウミクワガタは卵→ズフェア幼生(1齢)→吸血→プラニザ幼生(1齢)→脱皮→ズフェア幼生(2齢)→・・・→プラニザ幼生(3齢)→脱皮→成体と成長します。またその過程は、寄生相手の魚を探して体表に取り付いたり、吸血後は安全に脱皮が出来る場所を探したりと困難を極めます。ウミクワガタ幼生は孵化後、3回の吸血と脱皮を繰り返し、ようやく図1、2のような成体へと変態します。 ウミクワガタの暮らし ウミクワガタはどんなところで暮らしているのでしょうか。その生活環境は種によって様々です。日本の九州・本州の潮間帯岩礁域に生息するシカツノウミクワガタ( Elaphognathia cornigera )はクロイソカイメン( Halichondria okadai ) などのカイメン類の中から見つかります。
図:3 ズフェア幼生 図4:プラニザ幼生
北アフリカからヨーロッパの塩性湿地に生活する Paragnathia formica という種は、オスは泥の表面に巣穴を掘り、未成熟のメスを多数引き込んでハーレムを形成します。オスは、未成熟のメスを捕まえるため「交尾前ガード」と呼ばれる行動を行います。これは、成熟したオスが未成熟のメスを他のオスから取られないようにするための行動です。「交尾前ガード」は節足動物にはよく見られる行動と言われており、相手をはさみでつかんだり、相手にしがみついたりと、その行動は種によっても様々です。ウミクワガタの研究者である、琉球大学大学院理工学研究科の林さんによると、ウミクワガタ類のある種では、飼育環境下ではオスの成体が3齢のプラニザ幼生に抱き付く様子が観察されているとのことです。ウミクワガタの体サイズは小さく、海の中は広いので、成熟したオスとメスが出会う確率はそれほど高くないはずです。確実に繁殖活動が出来るようにこのような戦略を取っているのでしょう。ウミクワガタ幼生は雌雄間で形態に差がなく、成体に変態するまで雌雄を判別することはできないとされます。でも、ウミクワガタ同士はオスとメスをちゃんと区別しているのかもしれませんね。 ウミクワガタの幼生は吸血を行いますが、成体には吸血用の口器が無く、餌をまったく摂らずに繁殖行動だけを行います。メス成体は腹部に未受精卵を抱え、交尾後の受精卵はメスの体内で発達します。幼生は卵の孵化と同時にメスの腹部を破って出てくるため、産卵後にメスは死亡してしまいます。オスは引き続き複数回他のメスと交尾を行うようですが、オス同士を同所的に飼育したところ、大アゴを用いて喧嘩をする様子が観察されています。オスはメスの獲得のため、熾烈な争いが日夜繰り広げられているとするとオスはオスで大変なのかもしれません。 食うか食われるかの果てに 一般的に甲殻類は数回から十数回の脱皮を経て成体となりますが、ウミクワガタはたった三回の脱皮を経て成体になります。ウミクワガタの脱皮は寄生→吸血→帰巣(移動)→脱皮といった他の甲殻類にはない過程を経るので、何度も寄生行動を行うことは捕食されたり、無防備なまま脱皮場所を探したりと、大きなリスクが伴ってきます(Upton, 1987)。出来る限りこの過程を少なくしたのがウミクワガタの生き方なのでしょう。 では、ウミクワガタを捕食する生き物はどんなものがいるのでしょうか。みなさんはクリーナーフィッシュという言葉はご存知でしょうか。一昔前に「ドクターフィッシュ」という人の角質を食べてくれる淡水魚が話題になりましたが、海の中にも人の角質・・・ではなく、魚の体表についた寄生虫を食べて生活する魚がいます。日本ではホンソメワケベラ( Labroides dimidiatus )が最もよく知られています。ホンソメワケベラは魚の体表にくっついた寄生虫を好んで食べることから、ウミクワガタの天敵と考えられています。オーストラリアのグレートバリアリーフにおいて Grutter (1996) が行った研究によると、1匹のホンソメワケベラが1日に食べる寄生虫の数は1,200匹と見積もられており、その胃内容物の99%以上がウミクワガタであったとされています。ウミクワガタは大きなリスクを背負いながら吸血生活をおくり、このような苦難を乗り越えた個体だけが成体となり繁殖活動を行います。「寄生」というと他の生き物を利用し楽な生活をしているというイメージがあるかと思いますが、ウミクワガタの世界においてはそうとも言えないようです。 ウミクワガタの捕まえ方 実はウミクワガタ、幼生は成体になるための何らかの条件があるようです(林, 2016)。その条件を明らかにするため、私の所属する研究室ではウミクワガタの採集・飼育を行っています。採集方法は一部のプランクトンが持っている光に集まる習性を利用するというもので、ウミクワガタ幼生も光に集まります。夜間に漁港などに行き、その海面をライトで照らすと、プランクトンが光に集まってくるので、金魚網ですくい取ります。それを大型の瓶に入れて持って帰り、バットなどの浅い容器に広げてウミクワガタ幼生だけをピックアップします。成体は遊泳能力が低く、ライトの光には寄ってこないので、上記の方法で捕まえることはなかなか出来ませんが、ズフェア幼生とプラニザ幼生は捕まえることが出来ます。脱皮を行うのは血を吸った後のプラニザ幼生だけなので、採集したプラニザ幼生はペットボトルのキャップほどの容器に移して一個体ずつ飼育します。ウミクワガタの足場となるように木綿の布の切れ端を入れ、毎日水換えを行うと1−2週間ほどで脱皮します。光に集まってきた魚を捕らえて、血を吸ってないズフェア幼生と一緒に飼育すると、図5のように幼生が魚の血を吸っている様子が観察できるかもしれません。
図:吸血中のプラニザ幼生  血をたっぷり吸った幼生はプラニザ幼生となり、その後魚から離れてます。運良く3齢のプラニザ幼生をゲットできれば、飼育して成体のウミクワガタに脱皮・変態するのを観察できるでしょう。 ミクロな世界の入り口へ ミクロな生き物はそのサイズ故、注目されることはあまりありません。しかし、目に見えるマクロの世界が全てではなく、目に見えないミクロの世界は意識していないだけで広大に存在しています。今回紹介したかっこいいフォルムをもつウミクワガタは見る人を惹き付け、言うなればミクロの世界へ誘う案内人です。ウミクワガタをはじめ、目に見えない(にくい)世界の住人を探しにフィールドへ飛び出してみてはいかがでしょうか。 ※今回掲載した写真は全て、琉球大学大学院理工学研究科の林 千晶さんからご提供頂きました。この場を借りて深くお礼を申し上げます。 引用文献 Grutter, A. S. 1996. Parasite removal rates by the cleaner wrasse Labroides dimidiatus. Mar. Ecol. Prog. Ser., 130: 61-70 Upton, N. P. D. 1987. Asynchronous male and female life cycles in the sexually dimorphic, harem-forming isopod Paragnatia formica (Crustacea: Isopod). J. Zool., 212: 677-690 林千晶, 2016. ウミクワガタ幼生からメス成体への変態要因 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 松田遥, 2016. 吸血によるウミクワガタ幼生の胸部の膨張機構 琉球大学理学部海洋自然科学科生物系 卒業論文 執筆者 魚住 亮輔